表紙で、著者が段ボールに入ったハートの子供のようなものをじっと見つめている。
この絵に象徴されるようにこの本は著者が、自分の心を見つめて考えたことを書いたエッセイ漫画。
最初は「大丈夫な人」って「どういう人?」と思ったけれど、
ホワッと優しい絵と、内気で真摯な言葉選びが、私にはむちゃくちゃツボだった。
「繊細さん」の「私」に向けたエッセイ漫画
最近「繊細さん」とか呼ばれる、小さなことにも「大丈夫じゃなく」感じやすい心を持った読者向けに書かれた本が、本屋に並んでいるのをみる。
イラストレーターである著者は、心理カウンセリングをきっかけに感じやすい自分と向き合って、投薬しながら自分の心や気持ちを考え、表現し始める。
私も多分「繊細さん」のところがあり、そんな本が目につくし読むこともあるけれど、当事者が描いたこの漫画は、同じような読者に向けたメッセージっていうか。
PROLOGUE
一つ目の箱 悲しくはないし 腹立たしいわけでもないのに
二つ目の箱 ほどほどに うまくやろうと決めました
三つ目の箱 もっともっと 上手に泣ける人になりたいです
四つ目の箱 再び薬を飲みながら
五つ目の箱 大丈夫、何もかも大丈夫
EPILOGUE
各章に、2〜6ページくらいの10個ほどのエピソードが詰まっている中でも、私が好きなエピソードを紹介したい。
ホン・ファン・ジョン・著 藤田麗子訳 大和書房
「光を描くには」 p60
作者はある日、絵画教室の先生に指摘される。
「明るい光を描くには、影の方をしっかり描かなきゃ」
先生は続けて言う。
「人間だってそうでしょ?」
影の部分があってこそ、光の部分もある。
じゃあ、私はどんな色、どんな形の影を持つ人なの?
作者はこれまでネガティブな思いにとらわれていた。
例えば
「こんなことしてちゃだめ」
「私はこんなこともできない」
「みんなは平気なのに私は気にしすぎる」
「みんな私のせい」
彼女は、このエピソードだけでなく、小さな出来事を見つめ、自分の影の部分にも「少しずつ少しずつ」心を開いていく。
「ほどほどにうまくやる」p68
作者は絵を描くことや漫画を読むのが大好き。
でも好きなことが「やりたい」ことに変わった瞬間、辛くなる。
そこで「みんなどうやって好きなことを続けているんだろう」と考える。
私もコピーライターの仕事や、ブログを書くのも、好きなのに「やらなきゃ」と思ったとたん、なぜかちっとも書けない。
「よくよく考えてみたら“上手に“と言う言葉が隠れていました」
「上手に絵を描きたい」
「上手に漫画も!」
「上手に文章書きたい!」
うん、うん。うまくやろうとするととても辛くなるんだな。
作者は考え、「ほどほどにうまくやろう」と決心する。
でも、やはり「ほどほど」ってどのくらい?
それも、簡単ではない。
なぜってこのことに気づいてもどうしても「ほどほどに、うまく」やろうと考えてしまうから。
それでまずは、「まだ次がある」。
だから完璧を目指さない。
「他人にどう思われるか」気にせずやることにしたそうだ。
「またやりたい」と思えること、自分が楽しむことが大事!
「心を寝かしつける方法」p80
「どうするのこれは?」
「あれも問題よ」
「あれはどうなった?」
と、自分の心から聞こえてくる騒がしい声に悩まされていたのに、無心にミシンで何かを縫うあいだ、心がそれに熱中して、心を騒がせる声を無事寝かしつけることができたとか。
私にも経験があります。
とにかくやり始めることや、何かに夢中になることが、悩める心の助けになること。
参考記事
「もしかしたら」p84
携帯電話が動かなくなってしまったときに、すごく心配したのだけれども、実際には携帯電話会社に持っていき、すぐ修理が終わって「心配していたほどの事はなかった」。
そうしたら
「もしかしたら最近の辛い出来事も全て大した問題じゃないのかもしれない」
と思えた。
私もしょっちゅう悩むことがあるけれど、考えてみると大したことない問題が多いものだ。
「それぞれの洞窟」p215
作者はある日、布団から出られなくなる。
ベッドに洞窟を掘っているかのように泣き続け翌日、洞窟を掘っているように泣き続けたのが自分だけではないような気がする。そして
「好きな人たちに会っておしゃべりしつつ合唱みたいに笑い、おいしいものを食べながらいい歌を聴いて、同じ空間で楽しい時間を共有すると言うのは、どれほど美しいことだったのだろう。毎日誰かと会ってそんな時間を過ごすことが多かったこれは知らなかった。それがとても美しいものだと言うことを。」
と気づく。
その後
「1人で眠りにつくと言うのは本当に奇妙なことだ。みんなはどうやって夜1人で眠りについているのだろうか。父はどうやって何年何年も1人で天井見ながら眠りについてきたのだろうか。」
と一人で暮らす自分の父に思いを馳せる。
「いつ言えるようになるかな」p226
作者はいつも人に「大丈夫」と言われ続けていた。
自分を好いてくれている人々は皆自分に大丈夫と言ってくれている。
なのに、自分に大丈夫と言わないのは自分だけだ。
そう気づいて「自分にも大丈夫」と言ってあげられる人になりたい」と作者は書いている。
その絵で作者は以下のようにつぶやきながら、
「大丈夫だから」
「大丈夫」
「大丈夫」
自分の胸をトン・トンと叩いている。
どのエピソードが思い出せないのだけど、、、
他人を理解できなかった過去のことを思い出して作者は、
「誰かの理解し難い行動や言葉や行動に出くわしたとき、ある程度まではそういう状況そんなこともあるさと受け止めたい」
「その人がそうせざるを得なかった状況を、あれこれ多様に想像できたらいいのに」と書く。
そんな体験は私にもある。
私はあまりにも違って理解できないことが多いツレに、一時期本当に悩んだ。
でもその人がそうせざるを得なかった状況を想像できたらいいのになと、いつでも自分でも思っていた。
けれどもうまくできなかった。
「なんでそーなの?」
そういう態度で相手を傷つけ、同時にそんな自分に自分も傷ついていたのだ。
理解できない言葉や行動に対して相手に苛立ったりせず、
きっとそうせざるをえない状況があるんだなー
と想像できるような人に、私もなりたい。
最後に
私は日本のエッセイ漫画というジャンルがかなり好きな方だ。例えば「ツレがうつになりまして」と言う漫画はかなり昔読んで大好きだった。
この本の読後、韓国のエッセイ漫画だからこその違いというのは、全く感じなかった。
絵も文章も日本人のエッセイ漫画と何ら変わりがない。
(ウィキペディアを調べたところでエッセイ漫画/コミックエッセイ/は19世紀から世界中にある)
1人ひとりの人間の心や感情はなんら変わりないのは当然ながら、そのあまりにも日本と違わないことに少々驚いている。
欧米の小説を読んでも描かれている人物自体は別に日本人とか何人とか全然関係なく同じなのだけど、やはり雰囲気というか空気感が違う。
もちろん大陸の果ての国だからとか、お隣の国だからとかそんな十把一絡げに人間はくくれないので、この作家の個人差も大きいだろう。
空気感が似ているのは、やっぱり地理的にも文化的にも近いことが一因であるように思える。
そんな旅のような発見もあったので、これからはもっと近い国の本も読んでみようと思う。
引用元
「簡単なことではないけれど大丈夫な人になりたい」
ホン・ファン・ジョン・著 藤田麗子訳 大和書房
参考文献
https://ja.wikipedia.org/wiki/エッセイ漫画
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