ケヴィン・スペイシーが、セクハラ疑惑で辞めさせられた「ハウス・オブ・カード」はアメリカのドラマだけど、イギリスの1990年のBBCのドラマ「ハウス・オブ・カード」をもとにしたものだよ。
この記事ではイギリス版「ハウス・オブ・カード」を、イギリス好き・映画好き女子視点から語り尽くすわ!
*画像 Mattie and Francis/ House of Cards
あらすじ
保守党の院内幹事だったフランシス・アーカートは、近いうち首相が自分を大臣に昇格させると期待していた。でも首相がフランシスを幹事に留め置く事を決定すると、首相を失墜させると心に決める。
そして、ついに首相を計略で失墜させ、自身が首相になった後もフランシスは、ライバルの政治家をも失脚させるために、あらゆる陰謀を企て実行する。
彼にとっては若いジャーナリストのマティーや、政治アドバイザーの女性すらも自分の野望を実現するための道具でしかなく、彼女らと親密な関係になり利用した挙句、冷酷な手段に出る。
イギリス版「ハウス・オブ・カード」
日本でも昨今安倍元首相が、「桜を見る会」や国有地売却をめぐる公文書改ざん問題など多くのスキャンダルの末に辞任し、幹事長を歴任した菅官房長官が、首相が選ばれたわ。
そして、その背景には複雑な政治的な駆け引きがあったと言われているよ。
このイギリスBBCのオリジナル「ハウス・オブ・カード」も、首相が辞任し、院内幹事だった主人公フランシス・アーカートが、いかにして首相の座に上り詰めるか?から始まる。
イギリス版「ハウス・オブ・カード」は、ケヴィン・スペイシーのシリーズとは結構、違いがあるわ。
まずイギリスとアメリカという国が違うので政治のシステムも違うのだけれども、映画好き女子としての視点から言わせてもらえば、ケヴィン・スペイシーの演じるフランク・アンダーウッドと、イアン・リチャードソン演じるフランシス・アーカートは、男性としての魅力が違う。
イギリス版「ハウスオブカード」の主人公は、上流階級出身
ケビン・スペーシー演じるアメリカ版のフランク・アンダーウッドは何を考えているか知れない、薄気味の悪い雰囲気を漂わせている。彼は、貧しい家庭の出身が背景にあって、生まれ持った野心を秘めているのだわ。
まあ〜でも、権謀術数を駆使するフランクは、計算高い究極の自己中男にしか見えないでしょ。
アメリカ版のアンダーウッドとは違い、イギリス版のフランシス・アーカートは、イギリスの上流階級独特のエリートだよ。
彼の根本にあるのは、自分の力で人を動かすのが自分に与えられた特権であり責務である、という、いわゆるノブリスオブリージュ的なものの見方。
イギリスのこの階級の潜在意識には、「選ばれし者」という選民意識があるようね。
彼ら独特の、すっと背筋を伸ばした姿勢や歩き方、上品な物言いなど環境で培われたアティチュードまでがちょっとあれ、まるで貴族のような雰囲気だったり。
そうちょうど「アナザー・カントリー」「モーリス」など、イギリス映画に多い、パブリック・スクールものの少年たち、彼らが大人になるとイギリス社会に頂点に立つフランシス・アーカートのような立場になるのよ。
しかしフランシス・アーカートの特権意識の傲慢さが、身勝手な独善へと極まると、彼自身破滅を避けることはできないの。
イギリス版では女性ジャーナリストが主人公に本気で恋をしている
アメリカ版だと、主役の政治家と愛人関係にある若い女性のジャーナリスト・ゾーイーは、ただ情報を得るためだけ、つまり職業的野心のためにフランク・アンダーウッドと関係を持つ。
けれども、イギリス版のマティーは、この腹黒く計算高い、彼女が「パパ」と呼ぶ、初老の男フランシス・アーカートに本気で惚れているのだ。
アメリカ版のゾーイーはただ単に仕事で特ダネを自分のものにしたいと言うだけで体を張って政治家と寝る女の子。
その豊満なバストが目立つ体にぴったりフィットした服装をわざわざ着て狙い通りフランク・アンダーウッドの視線を掴み、仕事の野心を満たそうとするゾーイーは、男女関係さえあくまでも仕事の1部だと割り切っているのだろう。
イギリス版のジャーナリスト・マティーは職業的な下心も大いに持ちつつ、初老の政治家フランシス・アーカートに、恋を感じている。
だからこそ仕事にも熱心なマティーは、彼への愛情と、ジャーナリストとしての使命感(愛する人の真実を暴くことが彼を傷つける可能性)の狭間で悩む。
この辺が愛も性欲も全然なさそうなアメリカ版のゾーイーよりも私には人間的に思えるわ。
マティーにとってフランシス・アーカートとは?
30年以上前の映画といえどもさすがイギリス、ジャーナリストとしてバリバリ働いているタイプのマティーは、経済的にも自立している。
彼女は高い天井にロフトのある素敵なロンドンのメゾネットに、1人暮らしをしている。
彼女がフランシスを「パパ」と呼ぶのは彼が。自分の亡くした父と同じような年齢だから。
年齢がはるかに上で自分と全く違う世界で成功してきた男性と言うのは、何か謎なような気がするものじゃない?
その年上男性がお金も権力もあり誰もが知っているようなセレブリティーであればなおさらよ。
彼は自分が持っていないたくさんのものを持っていて、自分の見たことも想像したこともない世界を見せてくれる窓だから。
もしこれが年下とか同年齢の男性だとしても、違う世界を見せてくれる人はきっといるだろうとは思う。
でも経験が豊富な男性なら、性的にもこのうら若い女性に、まったく知らない世界を見せてくれた可能性は(って、そういうシーンは映画にないので知らないが)ある。
なので若く好奇心ある女性が、ずっと年上の権力のある男性に惹かれ、惹かれ合うのはそう不思議じゃない。
タイトル:野望の階段/ハウス・オブ・カード コンプリート
原題:House of Cards
原作:Michael Dobbs
監督:Paul Seed
出演:Ian Richardson, Susannah Harker
制作:1990 BBC
ジャーナリズムはもともと命がけで真実を伝える仕事
彼女がジャーナリストとして真実を暴く活動によって何者か(実は、彼女が夢中になっている愛人のフランシス・アーカート自身)から、脅迫されるところで、彼女と同じ会社の同僚に相談するシーンがある。
彼女は、うっすらした疑いや不安に怯えながらも、不倫相手のフランシスが、自分の陰謀を暴かれることを妨害し、彼女を脅迫しているとはまだ気づいていない。
同僚のジャーナリスト青年(実は彼、マティーに恋をしている)とマティーは2人とも「命をかけてまでジャーナリストとして真実を伝えることは、できないが仕方ない。そういうジャーナリストは夢や小説の中だけのことで、実際にはそうはいかない」となどと話をする。
そう、日本ではマスゴミなどと言われているが、ジャーナリストは、戦争ジャーナリストに限らずもともと命がけで真実を伝える仕事なのよ。
この女性の働く新聞社の上司は、政治家と利害関係があるため、彼女の悩みながらの追求も、異動によって阻止されてしまうの。
ジャーナリズムの仕事の独立性、真実を公にすることの難しさがあっさりとだけど、リアリティーを持って描かれているのも、特筆すべき点だわ。
アメリカ版のフランク・アンダーウッド同様、イギリス版のフランシスも外観は冴えない初老の男で、決していわゆる若い女性に魅力的に映るタイプじゃない。
でもアメリカ版と比べると、イギリス版の方が、不倫の愛と職業倫理の葛藤に悩む女子的視点で感情移入ができたわね。
シェイクスピアの影響?主人公がカメラに向かって語る形式
ケヴィン・スペイシーのアメリカ版でもイギリス版でも、主人公がカメラにより向かって一貫して語りかけながらストーリーが進められる。
この語りかけは見覚えがあった!うん、おそらくシェイクスピア演劇でね。
実際BBCのドラマで主人公のフランシス・アーカート演じるイギリス人俳優・イアン・リチャードソンが、シェイクスピア俳優出身らしいわ。
ほら、シェイクスピアでなくても、演劇って、登場人物の方に向かって喋っていた出演者が、突然聴衆に向かって話しかけることってあるよね。
イアン・リチャードソンが演じるフランシスはまるで、欲と喪失の狭間で葛藤するシェイクスピア演劇の主人公みたい。
それにシェイクスピアといえば、悲劇なのか喜劇なのか判別しがたい、英国お得意の醒めた人生観が特徴でしょ。
イアン・リチャードソンの一人語りも、ケビン・スペーシーより確実に滑稽味があふれてたわね。
実際のイギリス政治の裏側も陰謀に満ちている
以前 BBC でイギリス保守党の首相を務めた、マーガレット・サッチャーの回顧録のようなドキュメンタリー番組が、放送されていたよ。
そこではマーガレット・サッチャーに関わる大勢の政治家が、BBCによってインタビューされ当時を振り返っていた。
彼らが語る政治の裏側は驚くほどこの映画の物語に似て、利己的で非人道的な策略を巡らせていたの。
さらに驚いたのは「ハウス・オブ・カード」の原作者マイケル・ドブズも登場していたこと。
原作者が、マーガレット・サッチャーの政治アドバイザーだったのね。
彼はマーガレット・サッチャーに仕えた後に、「ハウス・オブ・カード」を自分の体験を活かして書いたと言われているわ。
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