大人が読む「ピノキオ」

オルタナティブな映画と本とストーリー
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テレビもパソコンもゲームもない時代の人形劇

ピノキオの物語が書かれたイタリアは、人形芝居の歴史がヨーロッパの中でも最も古いうちに入るみたい。(*1)

マリオネットと言う言葉だって、イタリアで「聖母マリア」から生まれたそうよ。

中世の教会で教訓を教えるために人形劇が使われたのが始まりで、その後いかがわしい人形劇も出現するようになったため教会では演じられなくなり、ふつうのお話が人形芝居として演じられ楽しまれるようになったんだって。

最初はピノキオの物語にも描かれるような、貧乏な庶民に親しまれた人形劇も、そのうち貴族にも人気を博し人形劇がイタリアで最も人気だったのもピノキオが書かれた19世紀前後頃らしいわ。

テレビもパソコンもゲームもない時代の人々にとっては、興行にやってくる人形芝居は、数少ない娯楽だっただろうねー。

人形劇を見る人々にとって、人形が演じるというより生身の人間に起こっているように身近に感じられたんじゃないかな?

実は私はヨーロッパに旅した時2回、人形劇を見て、オランダで見た人形劇では観客の子供の反応がまさにそんな感じだったの。

 

オランダの旅で見た、操り人形劇

オランダに旅行しただいぶ前のことなんだけど、観光客で騒々しいアムステルダムを避けて、気まぐれにローカルな電車で1時間ほど郊外へ出向き適当に下りたのよ!

何も知らずに下りたわりには絵のように美しい中世の街ではあったけれど、日本の観光ガイドなどではあまり紹介されていない街。(アメルスフォールト)

Amersfoort(アメルスフォールト)の紹介

人形劇を見に行ったのは、泊まったゲストハウスの女主人に勧められてたのだと思う。

中世の街のさらに街はずれのコミュニティセンターみたいな場所だったので、観客は地元の子供たちとその親だけだったみたいよ。

地元の子供たちは1時間ほどの人形劇の間中、人形の言葉や身振りにうなづき、驚き、興奮し、落胆し、その度に立ったり、腕で手を覆って叫んだり、笑い声をあげたり拍手したりしてた!

まああの子達には、3Dビジュアルとか、CG効果といったテクノロジーなんか一切不要なことは確かだわ。

その一挙一動に反応していたんだから、子供たちにとっては、人形も本当の人間と同じように映って担じゃないかな。

 

ベルギーで見た人形芝居

その前だったかその後だったか正確に思い出せないけれど、ベルギーに行った時はブリュッセルの中心地で観光客向けの人形芝居を見に行ったこともあるの。

由緒ある人形劇場(下記の場所)の人形たちで、観客はほぼ全員大人で、観光客ではなかったかと思う。

ブリュッセルの王立人形トーヌ劇場 Royal Puppet Theater Toone:

場所:Rue Marché aux Herbes 66(入口 lmpasse Sainte Petronille
Le Théâtre Royal de Toone

 

劇場の装飾はオランダで訪れたコミュニティセンターよりずっと芸術的で、人形も精巧だったけれど、そもそも私も含め言葉が完全にわかる客ばかりでないこともあり、醒めた雰囲気の中で眺める人形芝居では全然違う体験だったわ。

だってオランダの人形劇では、人形に起こることに反応する子供達の歓声や叫びという不思議な一体感の中だったからね。

 

建物や妖精のようすが、イギリスのそれにも似ている

イギリスの石造りの長屋のようす

イタリアを舞台にするピノキオの本の装丁にもある街の雰囲気は、今住んでいるイギリスの通りだとか、労働者階級が住む、石造りの連棟式家と外観がソックリ。

我が家は左の写真の家よりは多分年代が新しく、石でなくレンガ造りだと思われるけれどイタリアにも多い連棟式の家で、そういえばイギリスの長屋風建築の歴史は、イタリアが発祥だった。

 

大人になって読んだ原作の「ピノキオの冒険」は意外に長い。

子供が普通に読む短いお話のピノキオには出てこないが、ピノキオの冒険で重要な登場人物でありピノキオが「母」と呼ぶインディゴ色の髪を持つ美しい妖精がいる。

妖精は死んだとおもったら生き返ったり、村の女、少年などに変身したりする。

『ケルト幻想物語集』で書かれたアイルランドの言い伝えでは、妖精もいろいろ変身する妖怪のような存在なので、ピノキオの妖精もそれに似ている。

ただ『ケルト幻想物語集』で描かれた妖精は、ピノキオの妖精のように優しいわけでも正しいわけでもなく、反社会的で自由奔放、悪戯が好きなどちらかというとピノキオのような性格なのだけれどね。

 

ピノキオって、とにかくすごい悪い子

大人になって読むピノキオが、とにかくすごく悪い子だった。

極貧のジェペトお父さんが一枚しか持ってない上着を売って、寒い冬でブルブル震えながら、ピノキオに教科書をしつらえて、どうにか学校に行かせてあげたのに、ピノキオは学校に行くかわりにその教科書を売って入場料に代え、興行師が呼びかけるままに人形芝居を見に行ってしまう。

その後「ありったけのお金を土に植えれば、果物のようにお金がたわわに実を結ぶ『お金のなる木』に一晩で育つ場所がある」というキツネとネコの嘘を信じ、言われるまま夜中に「お金のなる木」を探しに行って盗賊に化けたキツネとネコに殺されそうになるの。

それでも学ばないピノキオは、ジェペトお父さんの待つ家に帰らず、相変わらず「お金のなる木」を探すわ。死にかけた自分の命を助けてくれた妖精にも嘘をついてね。

やっと「お金のなる木」を諦めたピノキオは、妖精を探すのだかど、妖精はピノキオに裏切られた悲しみのあまり死んでしまったと知るの。

妖精の死を知って家と学校に戻ってからも、悪い友達に誘われて「勉強しなくてもよく、一生遊びほうけて暮らせる」と聞いたおもちゃの国に行く馬車に乗ってしまうあたり、何も変わらない。

ジェペトお父さんも忘れ、家も忘れて毎日遊びほうけたピノキオは、ある日気がつくとロバになって売られる運命になっていたの。

もしかするとピノキオという操り人形は、キツネとネコなどに、ありもしない話を吹き込まれるまま信じたように、他人の意思に操られる浅はかな人間の比喩なのかな。

(ピノキオの実写映画の予告編)

ピノキオはイラっとするほどおバカなキャラだから面白い

ピノキオが最後には良い子になって、人形から人間に変わるラストシーンは、子供の時の記憶では鮮烈だった。

でも今読んでもピノキオの冒険に目が離せないのはそれよりもっと、とんでもない目にばかり会うピノキオが、模範的なヒーロー像とかけ離れているからではないかな。

子供の物語としてめったにないほど不従順で快楽的で、何度痛い目にあっても懲りず、愚行を繰り返す。その展開にイラっとしつつも、優等生よりバカな登場人物の方がはるかに、実在する誰かに似て身近な気がするよね?

ピノキオはジェぺト父さんや妖精のような、ピノキオのことを愛する人の言う真実を疑っても、悪い連中の言う甘い言葉はすぐ信じてしまう。

でもピノキオは悪いことをたくさんしロバになった後に反省して、ジェぺトお父さんを探して溺れて飲まれたクジラの中で、その前にピノキをを探して溺れたジェペトお父さんに再会し脱出して、最後に更生に成功する。

 

The Adventures of Pinocchio (ピノキオの冒険)とAlice’s Adventures in Wonderland (不思議の国のアリス)

この話の中ではキツネとネコだけでなく、虫や鳥、魚もすべて、おしゃべりをする。

もっとも操り人形ピノキオも、誰も操ってないのに自分でいろんな場所に勝手に出かけては、遊んだり喋ったり最後はロバになったりするわけだけど。

ピノキオが夜遅く「ドアを開けて」と言って「今すぐ」と答えてから、4階建ての階段を降りてドアをやっと開けたのが翌日だったという妖精の女中は、ナメクジである。

夢のように変幻自在に姿を変える登場人物、ナメクジの召使いの反転した時間感覚、クジラの中という奇想天外な舞台など、ピノキオにはルイスキャロルの「不思議の国のアリス」を思い出させるところがたくさんある。調べたところ、「ピノキオの冒険」より15年ほど前でもほぼ同時代に出版されていたよ。

うーんイタリアでの「ピノキオの冒険」は、イギリスでの「不思議の国のアリス」に当たる、児童文学の古典と言うことになるじゃないかな。

違いは「不思議の国のアリス」のアリスは悪い子でなくても、だからと言って子供の見本になるような良い子でも、従順な子供でも、ない。

「鉄道の子供達」とか、イギリスじゃ有名なEnid Brytonの本など私が読んだイギリスの子供向けの本は「良い子」が主人公で悪いこともしたら罰を食うような展開の教訓的な話が多かった。

ピノキオは度を超えた不従順ぶり、怠け者ぶり、嘘つきぶりを発揮するが、ラストでは反省して良い子になる。「不思議の国のアリス」と比べれば教訓的な結末になっている。

 

今のイギリスで見る、リアルなピノキオ的現象

先週イギリスで電子出版関係のウェビナーを、メールアドレスと「あだ名」一つで無料で受けられると知りとりあえず申し込んで見た。

講師が繰り返すセリフは、

「ほとんど働かず億のお金を継続的に稼げます!」

なんと、ピノキオの「金がなる木」にソックリ?

「他人に本を書かせてアマゾンで電子書籍にすれば売れて億単位の収益になる」手法だそうだ。

どんな本をこの人は出版したのかと、講師の名前をアマゾンで入力すると著者名は出てきても著書は一冊も出てこない。アマゾンの電子書籍が継続的に売れているなら、数年前の講師の出版物がすでにアマゾンから消えているのはおかしい、と思った時「講師のアシスタントです。自由にチャットで質問してください。私がお答えします」というメッセージがチャットボックスとともにスクリーンに現れた。

「実績として彼の著書名を教えてください」と書いたけど、こんな連中を相手にする時間はないと判断して、チャットは送らずに退出しようとしたら、どこを間違えて押したのか、質問があちらに送られてしまった。

そしたら回答が即、返された。驚いたことに「著書名とはどういう意味ですか」だの「僕はアシスタントで本を出版したことはない」だの「何を聞きたいのかわかりません」だの質問にまともに答えるのを避けているとしか思えず、それ以上チャットも聴講もやめた。

でも表示されていたウェビナーの参加者数は325人ほどで、私が退出した時もさらに増え続けていた。

日本のピノキオたち

一攫千金や「遊んで暮らす」と言う夢を持っては失敗するというピノキオのような大人は、150年も後の今の日本にももちろん、いる。

2年ほど前に行った不動産投資セミナーは、「不動産会社との関係作り」とか言うテーマに関心があり、会場近くに行く用事もあったので寄ってみた。

セミナー講師は「不動産投資は簡単。手間もお金もかからず私はこんなに高い利回りで遊んで暮らせるキャッシュフローを得ているが、秘策を聞きたい人は残って」と言った。

これもピノキオを「遊んで暮らせる国」に誘って、ロバに変えて売り払った男にソックリではないか?

隣の人と自己紹介やら、意見交換やらをするという趣旨のセミナーだった。隣のサラリーマンだという男性が、すでに不動産投資をしており、あまり成功していないから参加したと私に打ち明けた。

セミナー後講師が、「私のように儲かる方法を教えて欲しい人は手をあげてください」と言って、彼の手法を教える料金の書いてある紙を配った。

それはたった4回、各1〜2時間というコンサルティングだったのに30万円以上。講師の時給に換算すると約7万円!

そもそもセミナーと謳いながら肝心なところはいちいち説明を避け、高額なコンサルティング料をセミナー後に持ちかける時点で呆れてもう出ようと思ったが、こんなの申し込む人なんているのかと思ったら、話をした隣の男性が手を挙げた。

ビックリして恐る恐る周りを見回すと、何と参加者わずか20人くらいのうち3分の1ほどの6人くらいが手を挙げていた。

ピノキオは更生して、人形から人間になれたみたいね。

このおとぎ話には、人形より人間の方が全能で賢いと言う前提もあったでしょう。

ただ残念ながら、人間がいつも賢いとは限らないのだ。

 

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参考文献

*1 Wikipedia “Puppetry”

Puppetry - Wikipedia

*2  『ケルト幻想物語集』イエイツ (ちくま文庫) 文庫  1986/4/1

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