大正時代の和洋折衷住宅 (横浜市磯子区・旧柳下邸)に散歩して

自国を出た瞬間に(旅と境界と)

横浜根岸の堀割川のこと

昔からあるらしい近所の駄菓子屋。

横浜の根岸駅と磯子駅の間の海へと流れる昔の運河、堀割川の近くに住んでいる。

堀割川沿いは昔、漁師の村だったと言い、今も小さな漁師の船が通り過ぎる。

海へ「出勤」しやすいから、運河ができた150年ほどまえ頃から漁師がたくさん住んでいたんだろうね。

堀割川から丘を上がったところにある、横浜の居留地に住んでいた西洋人のために日本初の洋式競馬場(現根岸森林公園)が完成したのもほぼ同じ頃だった。

 

旧柳下邸

この近くの高台の海が見える場所を、19世紀に横浜を訪れたペリーらはアメリカのミシシッピに似ている景観から「ミシシッピベイ」と呼んだそうだ。

横浜だけではなくて、追浜なども京急沿いの海は昔はたぶん景勝地だったのに、今は工場地帯や味気ない住宅地になってしまった。

当時はきっと、海が綺麗だったんだろうね。

ユーミンの曲「海を見ていた午後」で有名な、老舗のレストラン「ドルフィン」も近く。でもユーミンが曲を書いた頃はすでに根岸の浜は埋め立てられて、 ソーダ水から見えたのも、コンビナートの海景色だったはず。

 

旧柳下邸(なつかし公園)

運河の河口あたりの丘、ひっそりと大正時代の邸宅がある。金属の輸入で財をなした柳下氏の邸宅が、今は無料で一般公開されている。

 

家の間取り図などはこちらから見れます。

 

 

 

畳が好きだ。夏は素足の裏にひんやりとして気持ちがいいから。

冬も暖かいし、足を伸ばして座れ、ごろっと横になれるから。

何もかもがクッキリした輪郭に見える青空の下、散歩の途中でふらりと旧柳下邸に寄ってみた。

 

入るのは3回目か4回目くらい、暑いからか私以外に誰もいなかったけれど、中は涼しい。

よく見ると窓や襖のほとんどが開いていて自然の風が通る。外に見学の親子が1組。

この家は壁が少なくて、外への開口部である窓や、襖がほとんどのように見える。

 

旧柳下邸 洋館の部分

 

旧柳下邸の洋館部分は、天井が高くて内装はまるでイギリスの住宅って感じ。

1ヶ月前まで、半年間イギリスにいた時の家がそうだったのだけれど、

イギリスでは、日照時間が少ないのに窓が日本の家より少ないのが、初めは不思議だった。

でも最近は思う。天気が悪く年中冬のようなイギリスでは、窓のあたりに来ると温度が下がって感じる。だから壁が多く外気が遮断されている方が、寒い気候では暖かくて快適だなと。

 

横浜観光の穴場でもある、旧柳下邸(なつかし公園)は、横浜の歴史や博物館に詳しい「はまれぽ」に掲載されています

 

ヨーロッパやモロッコの家と、日本の家

庭を囲むように廊下があり、水場もある旧柳下邸

庭を囲むように掃き出し窓の廊下があり、水場もある旧柳下邸。日本の古い家に壁が少ないのは、風が通って、暑さと湿気が厳しい日本の夏にぴったり。

もしかして、長く鎖国して隣国の攻めにあうことが少なかったことも、家の外側へと無邪気なまで開放的な構造と関係あるのかも?

 

ちょっと歴史年表を見てみたら、日本が鎖国していた数百年もの間は、イギリス・欧州が覇権争いを続けていた時代。

 

中庭を廊下が囲み、やはり水場がある(左下)モロッコの邸宅

外との境界があいまいな家の方が、開放感があって快適なのは、暑さや湿気が厳しい国だからこそ。

 

去年モロッコのラバドで泊まった家は内側が、やはり水場のある中庭を囲む吹き抜けの廊下に、各階3部屋ほどが面していた。

 

ラバドの*リヤド(写真:古い邸宅を利用した宿泊施設)で、中庭は強い直射日光を気持ちよく和らげていた。

 

外からの侵入を拒む外観と対象的に、モロッコの家は内側に開かれていた

邸内では中庭で外へと開いているモロッコの家。でも、外から見ればまさに要塞か迷路。(左の写真)

私たちが泊まったところもそうだが、多くのリヤドはメディナ(旧市街)にあるみたい。観光案内によればメディナは、相手を迷わせる目的で敵や侵入者の対策として設計されていると言う。

ヨーロッパと同じテラスハウス(連棟式住宅)で窓も少なめなほとんど壁状なので、外からは秘密めいて、中の様子をうかがい知ることはできないのだ。

 

 

*首都で世界遺産の街ラバド。マラケシュほど観光ズレしていない、大好きな街。

旧柳下邸の場所

 

 

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